6月7月の演劇

長崎聖福寺墓参用井戸



ひさびさの更新。前回以降に観たストレートプレイ。


6/23 請願 -静かなる叫び-(新国立劇場小劇場)


シリーズ・女と男の風景の最後の演目。鈴木瑞穂草笛光子の二人芝居。作はブライアン・クリーク。イギリスの80年代、退役軍人の夫婦。余命いくばくもない妻は夫の意に反して無断で核先制攻撃反対の新聞署名に名を連ねる。二日目にいったせいか、まだこなれておらず、セリフのとちりが多く残念。それでも、最後の草笛さんのポーズの向こうに、本当のイギリスの老婦人の姿が見えた気がしてびっくりした。


6/29 エレファント・バニッシュ世田谷パブリックシアター


昨年の初演に続いて再演にも通う。今年はじっくり、この後も二回足を運んだ。やはりすごい。みればみるほど作り込まれた芝居だな、と思う。テーマがテーマだけに後味はそんなに沁みるものにならないのがちょっと残念かな。


7/2 ひばり(劇団四季自由劇場


劇団四季のストレートプレイを初めて観た。万人に受け入れられるわかりやすく明せきな演技。優等生の演劇といったところ。くずしすぎないからこそ、想像力が働くということなのだろうか。物足りない気もしないでもないが。それでも名作を見られてよかった。


7/7 Midsummer Carol  ガマ王子VSザリガニ魔人


後藤ひろひと作品を初めて観る。よく作られた話。真夏のクリスマスキャロル。しかし結末は悲しい。感動的ではあるが、泣かせに走っているところと一部の役者の演技がまだまだな点で、少し興ざめの部分もあった。


7/11 ハロー・アンド・グッドバイ(俳優座劇場)


南アフリカの作家、アソル・フガードの描いた60年代のプア・ホワイト。姉と弟、困難と貧困を生きた両親と幼年時代への複雑な思い。弟の言葉はやがて宗教的な象徴性を帯びてくる。個人的な体験からもとても共感してしまった。久世星佳北村有起哉姉弟は、息が合い、しなやかで個性的。


7/14 真昼のビッチ(シアターアプル


ビレッヂ・プロデュース作品。長塚圭史作の演劇を始めて観る。こういう救いのなさは実はキライじゃない。役者はみないいが、特に気が狂った妹を演じた馬渕英里何の演技力には惹かれた。


7/24 求塚(シアタートラム)


世田谷パブリックの「現代能楽集」シリーズの第二弾。能の「求塚」を元にして、鐘下辰男の作・演出。役者はすばらしい人たちを揃え、演出も舞台空間も照明も素晴らしい。しかしとりあげられる素材が陰惨な幼児殺しの連鎖とは。どうも後味が悪く受け入れられなかった。


7/27 偶然の男(スフィアメックス)


天王洲アイルは遠くてツライ。それだけで損しているなあ。フランスの新鋭女性劇作家ヤスミナ・レザの作品。列車のコンパートメントの中で、偶然に居合わせた作家とその熱烈なファンの女性。なんとセリフのほとんどが内的独白。最終部になって二人はやっと現実に会話を交わす。難しい劇だ。長塚京三キムラ緑子はさすが。マネキンを置く演出は個人的にはちょっと微妙。鈴勝さんらしいといえばそうだが。


7/30 父と暮らせば(紀伊国屋サザンシアター)


再演を繰り返すこまつ座の名作。原爆投下後の広島。恋をした娘のもとに死んだ父が現れる。掛け値なしにすばらしく胸を打つ。なぜ日本は平和憲法を捨て、米国の世界戦略に追随しようとするのか。本当に悲しく恥ずかしく怒りを感じる。機会があれば必見。映画の方はまだやっているようなのでそちらも観たい。


とりあえず7月まで。8月分と他のジャンルはあらためて。

ハロー・アンド・グッドバイ

blankpaper2004-07-29



■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 2


演劇鑑賞ほど、人によって視点や評価が食い違うものはない。それは、俳優や観客の状況によって上演が毎回同じものにはならないことと同時に、その内容が大きく個人的な体験とリンクしてしまうことも往々にしてあるからだ。


七月上旬。六本木の俳優座劇場で南アの劇作家、アソル・フガード Athol Fugard の『ハロー・アンド・グッドバイ Hello and Goodbye』を観る。1965年、南ア、ポートエリザベスの町。プアホワイト(貧困白人層)の姉弟


作家は『血の絆 Blood Knot』など、アパルトヘイトの状況を鋭く描いた戯曲で知られるが、この作品は、むしろ作家の成育地と出身階層を描き、個人的な体験に深く根づいているようだ。戯曲の最後には、自らの父への献辞があるという。


行方不明の姉が15年ぶりに家に戻ってくる。むかし労働で足を負傷した父が受け取ったはずの保障金目当てである。弟は隣の部屋で寝ている病気の父を起こすなといい、部屋からいくつもの箱を運び出し、姉弟の保障金探しはやがて幼かった日の家族の苦い思い出探しとなっていく。


大恐慌時代を生き抜いたことを誇りにしながら母への思いやりを欠く父を嫌い、母の死後、家出して今は娼婦となった姉。父に従順で、その面倒をみるため鉄道員の夢をあきらめた弟。思い出を語るうちにセリフはやがて宗教的な色彩を帯び始め、父=神・キリストであることが象徴されはじめる。この戯曲は神の沈黙という重い問題をはらんでいるようだ。


しかしそのことに気がつかなくても、この劇は日本のある世代(昭和30年代生れ前後か)の多くが感じるであろう親への感情を揺り起こす。親達が戦争と貧しい時代を生き延びたことを誇りにし、父親が母親に対して理不尽なまでの権力を振りかざしていた時代の思い出。


友人達と遊びに出る姉に追い返してもついていこうとする小さな弟。面倒をみるのが嫌で石を投げて追い返す姉。こんな思い出が語られるとどうにも身につまされてやりきれず泣けてくる。


最近テレビや映画では60年代や80年代に対して、美しい時代として甘いノスタルジアが描かれる傾向が強い。しかしそんなのはウソだ。あの時代にはまだ陰惨な旧世代の影が落ちていた。「自分の子供時代には良い思い出などひとつもない」という姉のセリフの方に自分は深く共鳴する。


久世星佳北村有起哉姉弟は、息が合い、しなやかで個性的。美術(妹尾河童)も特筆に値する。


【上演】2004年7月8日〜18日 俳優座劇場
    作 アソル・フガード  
    翻訳 小田島恒志
    演出 栗山民也


(この文章は、日外アソシエーツ発行のメールマガジン「読んで得する翻訳情報マガジン No.54」に掲載したものです。詳細・登録は以下よりお願いします。)


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エレファント・バニッシュ

blankpaper2004-07-13



■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 1 


最近上演された翻訳劇の舞台をレポートしていくのが、この記事の趣旨なのだが、最初はちょっと変わり種を紹介することにした。前号掲載の「翻訳読書ノート」とのリンクでもある。


村上春樹の「象の消滅」「パン屋再襲撃」「眠り」を含む 16 の短編がJay Rubin によって英語に翻訳され「The Elephant Vanishes」としてニューヨークで刊行されたのが1993年。上記三作を素材に、イギリス演劇界の鬼才、演出家サイモン・マクバーニーと日本の俳優たちがロンドンでのワークショップを行い、『エレファント・バニッシュ』という舞台を作り上げたのが、10年後の2003年。東京とロンドンでの成功を受けて、今年の再演となった。今回は両国だけでなく、ニューヨーク・パリ・ミシガン州でも上演される予定だ。


日本人作家の書いた小説が、英語に翻訳され、それをもとに演出された演劇が、日本人の俳優によって日本語で上演される。なんというかぐるっとまわってまた元に戻ってきました、って感じがとても面白い。


舞台は様々な奇抜なアイディアに満ちあふれている。マイムによる独特の身体表現。映像の多用。光と闇。空間のねじれ。たとえば「パン屋再襲撃」の最初のシーン。垂直に立てられたベッドに張り付くように寝ている若い夫婦。つまり観客は、天井からの視点で二人を見下ろしているのだ。突然、夫がベッドの上に立ち上がり、天井を向いて観客に語り始める。実際は俳優はワイヤーによって水平に吊られているのだ。


こうした演出はただ奇を衒ったものではない。ワイヤーで吊られた夫は物語を俯瞰する語り手となり、もう一人の自分と妻が演じる物語を、空中を浮遊しながら語り続ける。自己を客観視する分身。「眠り」では、眠れなくなった主婦のビデオ日記の映像が、何重にも舞台に映し出され、同じことのコピーでしかない日常を象徴する。


こういった演出が、村上春樹の描く現代の都市生活の空虚感・孤独感をかなり正鵠に捉えている。初演ではこなれない印象もあったが、今回は表現と内容とがするっと繋がって腑に落ちた。


演劇の世界的コラボレートは現在ここまで進んでいる。もちろん東京では古典的な翻訳劇も毎夜上演されている。今後、様々な「翻訳劇」のあり方を紹介させていただこうと思っている。


【上演情報】
エレファント・バニッシュ
 村上春樹 短編集「The Elefant Vanishes」(1993 Knopf 刊)より
 世田谷パブリックシアター+コンプリシテ(ロンドン)共同製作
 演出:サイモン・マクバーニー
 出演:吹越満 高泉淳子 宮本裕子 他


(この文章は、日外アソシエーツ発行のメールマガジン「読んで得する翻訳情報マガジン No.52」に掲載したものです。詳細・登録は以下よりお願いします。)


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5,6月の演劇

新国立劇場小劇場入口



忙しさが続くので、また備忘録的に。


5/12 「てのひらのこびと」(新国立劇場小劇場)


高校教師(♀)と教え子の高校生(♂)の恋愛逃避行を描いた科白劇。鈴江俊郎の戯曲は時に詩的で時に難解。裕木奈江茂山逸平が熱演するも苦しいところを、壇臣幸が後半登場してぎゅっと引き締めた感。しかし客の入りが悪いからといって中学生の集団鑑賞にはいくらなんでも不向きではないのか、新国立劇場さん。


5/14 「アマデウス」(ル・テアトル銀座


松本幸四郎サリエリ市川染五郎モーツァルトという親子共演。数年ぶりの再演とか。以前から観たかったので出かける。幸四郎の科白回しに批判も聞こえるが自分としては特におかしいとは感じなかった。芸達者な俳優も多く全体としてそつなく面白く仕上がっていると思うが、会場が今一つ盛り上がっていないのは真に迫るところが何か欠けていたからだろうか。それに平日の午後六時開演は早過ぎるのでは?終演時間が遅いわけでもないのに何故。


5/15 「犀」(梅ヶ丘BOX)


50人入ればいっぱいという狭い空間を縦横に使った演出でイヨネスコの不条理劇を燐光群の役者が熱演。初演出の大河内なおこの演出の感覚は気に入った。蜷川の演出補をしていたということでどこか似通うところもある。不条理劇というよりは世相を揶揄した寓意劇とでもいう感じ。ファシストの台頭というイヨネスコの実体験が下敷きにあるらしく現在の日本を重ねる意図もあったようだが、それにとどまらない多義的な意味を持たせたままの演出はよかった。それにしても役者さんが登場する際に肩にぶつかっていったり、退場する際に唾をかけられたりと、臨場感にあふれていた。こういうのもけっこう満足感があるものだ。


5/21 「ダムウェイター(A・Bバージョン)」(シアター・トラム)


ハロルド・ピンターの不条理劇「料理昇降機」を鈴木裕美と鈴木勝秀の二人の演出家が別々の役者で演出。両方のバージョンを連続で観たが、本当に役者と演出で雰囲気ががらっと変わるものだ。堤真一村上淳のAバージョンは、ウェルメイドでリアルに作られ、登場人物の内面と背後のストーリーの存在の手触りを伝え、浅野和之・高橋克美のBバージョンは、無機質で不条理な乾いた世界を現前させる。一時間の芝居で5000円のチケットは高いとの声もあるが、これは払う価値があったと自分は思う。


6/6 「りゅーとぴあ能楽堂マクベス」(青山銕仙会能楽研修所)


新潟の劇場りゅーとぴあが発信した、和風マクベス。和風といえば「NINAGAWAマクベス」が思い起こされるが、これは能楽堂を使って行われ、能の身体表現や面、衣装などが使用される点がユニーク。役者はみな若いが上手く、エネルギーにあふれている。三人の魔女が六人の巫女のような少女となり、ほとんど舞台上に居続け唄い舞う演出が光っており、5月に観た野田秀樹演出、オペラ「マクベス」の骸骨=魔女よりもすんなり受け入れられた。すばらしい達成。


6/9 「オイディプス王」(シアターコクーン


蜷川幸雄演出、野村萬斎主演。再演だが演出が変わっているそうだ。確かにテレビ放映で観た鏡張りの背景ではなくなっていた。さすがの演出、そして演技。迫力に圧倒される。麻実れいも相変わらず存在感あり。ギリシャに持っていって上演するということだが、どのような反応がかえってくるのか興味深い。それにしてもこの悲劇、実際の悲劇的事象は舞台上では何一つ起こらず、すでに起こってしまったことが語られ嘆かれているだけに過ぎないことに気づく。ギリシャ悲劇とはそういうものか。


この時期、演劇以外の舞台はあまりいけなかったが、改めて。

 今春のオペラ


3/29 神々の黄昏


ついに観た、トーキョー・リング。クラシック音楽を聴く耳を育てていない自分には、キース・ウォーナーの奇抜な演出が実に楽しかった。こんなに面白いものなら、毎年観に行けばよかった。完結編だけ観てしまったのは残念。しかもチクルスが予定されていないなんて! それにしてもオペラ歌手はどうしても巨体でなければ一流ではないのだろうか。あれだけはちょっとキツイ。

今春の古典芸能


2/22 内濠十二景


フランスの日本大使だったポール・クローデルの「二重の影」という小説を、能として観世栄夫氏が構成。能を観るのが初めてなのに、こんなに変わり種を観てしまった。正直どう評していいやらわからない。が、能表現が持つ、一種の夢幻的な雰囲気、感覚だけは十分に伝わってきた。それにしても世田谷パブリックの二階席以上は高所恐怖症には辛い。


3/15 三月大歌舞伎


「韃靼」という東大寺二月堂のお水取り行事に取材した舞踊が観たくて、二月に続いて夜の部に足を運んだ。その他、「大石最後の日」、「義経千本桜」。意外と新歌舞伎「大石最後の日」のかっちりとした作りが気に入った。お目当ての「韃靼」は面白い舞踊演目で、リズム感ある群舞が迫力ではあるが、どうも青衣の女人の解釈が腑に落ちず。

今春のミュージカル


4/28 オン・ユア・トゥズ


上記、マシュー・ボーンの「白鳥」でファンを魅了したダンサー、アダム・クーパー主演のミュージカル。1920年代を舞台にした話で、内容はぱっとしないが、アダムのコメディアンぶり、タップ、歌、劇中劇のバレエシーンなどファンなら見どころ満載だろう。でも普通人にはイマイチ迫るところがなかった。


4/29 キャンディード


テレビの「題名のない音楽会」で出演者の歌唱を聞き、行くことを決意。ヴォルテールの荒唐無稽な風刺小説のミュージカル化に挑んで30年かけて完成させたバーンスタイン。興業的に成功例が少ない作品だそうだが、宮本亜門演出も面白く、出演者もみな頑張って難曲をこなしていた。自分は楽しめたし、質の高い舞台だと思うが、やっぱり興行的には難しいのかな。